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三学四師との内観対話:中村天風先生とのインサイトダイアローグ6

「死線の上で何年か生きたと言う、あの特別な境遇の中から天風哲学は生まれたのだ。」と天風先生は述懐されている。

「どんな境遇でも、そこには学びや気づきがあるし、その方が人生の価値創造に繋がる。」と私は決意を深めた。

 

大病で生死を越えたこの時期を契機として、天風先生は心身統一法と言う実践哲学を編み出して行く。

天風先生の人生観は、

「自分の命にできるだけ喜びを多く味合せて人生を生きる。」と言うもの。

どんな刹那(一瞬)でもその刹那その刹那、全身で生命の喜びを味わう。

これこそ自分の死と向き合ったことのある者が、自分の生を肯定的に見据えた時に悟達する境涯(認識世界)なのだろう。

 

天風先生:生も歓喜、死もまた歓喜。刹那(一瞬)の中に永遠の生命の充実感を味わい尽くすのじゃ。

著者自身:生も歓喜は良くわかります。生命は歓喜(喜び)を味わうためにあるのですよね。確かな実感があります。

天風先生:死もまた歓喜。これは分からないか?それは、永遠の生命観に立脚していないからだね。死とは現象世界ではゼロだが、ゼロエネルギーでは即無限大でもある。

著者自身:そこが意味不明です。物質とゼロエネルギーはどう意味ではないですか?物質から熱や光や電磁波等のエネルギーに形態転換する事が明らかです。ゼロエネルギー等は聞いたことがありません。

天風先生:私の時代は分からなかったが、21世紀では宇宙には「ダークエネルギー」(正体不明なエネルギー)が満ちているらしいじゃないか。私が言う「ゼロエネルギー」とはそういう物質化していないエネルギーの事だよ。21世紀人ならばその辺は常識だろう。

著者自身:そうですね。数式計算から割り出すと宇宙の50%近くはこの「ダークエネルギー」(正体不明なエネルギー)だと現代科学は結論づけています。しかも宇宙の質量からみて、物質(熱や光や電磁波転換可能なもの)は20%未満しかないそうです。残りの30%前後はこれまた「ダークマター」(正体不明な反物質:質量だけある)と言うのです。

つまり最先端の宇宙物理学において80%は「ダーク」(正体不明)と言う結論なのです。

天風先生:そうじゃろ。私が口にした仮称「ゼロエネルギー」とはこのことだ。つまり、生の歓喜だけではなく死(物質レベルで認識する状態)も別次元のエネルギーに還元されているならば、そこにも生命(物質的な意味ではなく)=一種の魂のような継続性があるはずだ。

著者自身:そうか!だから東洋哲学は「永遠の生命論(輪廻転生)」を主張しているのですね。そもそも宇宙の80%は物質(またはエネルギー転換できるもの)以外で出来ているのだし、そういう別次元の中に「次の存在」を継続しうる。

少なくとも「今まであったエネルギーが消滅するのではなく、別形態のものに転換する」と言う思考の方がより科学的だし合理的です。

天風先生:そうだな。つまり「生の状態」と「死と言う状態」でエネルギーの転換が起きている。過去世や現世や来世がこのエネルギー転換を繰り返しているのだよ。

著者自身:少しそこが分かり難いです。例を示して頂けますか?

天風先生:行田蓮(古代蓮)が良い例だ。

およそ3000年前のハスの種が発掘されて、自然発芽して花を咲かせた。

これは種(死の状態)が3000年を経て花(生の状態)になったと言う事例だ。

つまり、種【(生命状態とは言えない。)⇒生命とはエネルギーの新陳代謝しており、かつ細胞分裂して生命活動や成長老化等を持続している状態ではない。】

と言う別次元の状態ではあるが継続している証拠である。

つまり、環境条件が整えばそこに「生命」が宿る訳だ。

著者自身:そうか!この生命と言うのが、歓喜(生きる喜び)そのものだと言うことですね。生命とは、この生きると言う喜びを全身で表現しているもの。何と素晴らしい事なのでしょうか?

天風先生:本来性から見れば「いかなる状態とは言え、生命とは喜びを味わうためのもの」なのである。病気も老化も生命そのものが内在する喜びの表現なのだよ。苦痛とは、喜びを味わうための道具だ。そう考えてみると良く分かる。苦痛がないならば、生は喜びを表現できない。苦楽は同じものの、表裏一体になっている。あざなえる縄のように苦あれば楽あり。だから歓喜する。苦だけや楽だけは概念世界にしかない。現象世界では「苦と楽は同一物の表裏」なのだ。

 

私は、不思議な気持ちになった。私の人生は一見苦しみの連続のような見え方をする。(世間の人々には苦労の連続に映る。でもその苦闘を一つ一つ克服する成長進化の歩みは、実に歓喜に満ちている。)しかし、その苦労があるから克服した幸福を味わえるのではないか。

そう考えると「苦もなく楽もない。生きながらの死」が実に不幸だと感じることができた。そして、そういう「生きながらの死」を過ごす人々が年々増加しているようにも感じる。哀しい事だ。

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