ホーム > NEWS一覧 > Blog > 三学四師との内観対話:中村天風先生との…

三学四師との内観対話:中村天風先生とのインサイトダイアローグ5

「絶対積極は、知識や技術ではない。生き方や在り方である。よってそれは、自分自身が実感して体得するしかない。」と天風先生は言う。

「とかく“ねばならない”とか“こうあるべき”とかで、積極的とか前向きとか言うが、潜在意識は本心がそう思っていることしか実現しない。」と私は再認識した。

 

現代は方法論やテクニックが溢れている時代だろう。

SNS上には、毎日数十のセミナー告知が氾濫している。

「必ず〇〇がうまくゆく方法」とか「1週間で〇〇になれるやり方」とか、もしもそれほど簡単な事ならば、多くの人々の人生は苦も無く生きて行けるだろう。

 

残念ながら、方法論やテクニックはただの類型(定型化したパターン)なので、それを習得したからと言って、必ずそれを使いこなせることにはならない。

限りなくカスタマイズ(実情に合わせる工夫)が必要であることが大半だ。

そこを理解していないと、際限なく「インプットばかり繰り返した結果、最後には〇〇にはならなかった」と言うことに成り兼ねない。

天風先生の実践的な哲学は、実践が主体になっている。

心身を使って体感しながら身に付けて行く。

21世紀の教育はこの方向に向かっているかもしれない。

 

天風先生:インドの奥地でヨガの修行をしていたが、師匠はほとんど何も教えてはくれなかった。出来ている場合は「良い」と言うが、出来ていない場合は「まだ駄目だ」と言うだけ。

著者自身:それではどうやって習得すれば良いのでしょうか?やり方が分からないでは無いのでしょうか?

天風先生:馬鹿者!そもそもやり方は教わるものではない。方法は自分が試行錯誤して見出すしかないのだ。安易な方法などない。

著者自身:つまりきっかけになるやり方や導入する方法はあるものの、実際に修行をしながら、各自がその中で実感するまたは体得するという事なのでしょうか?予めの定型の答えがある訳ではないと言うことでしょうか?

天風先生:そうなのだ。一種の体感であり、それは容易く言語化することは難しい。人間は一人一人異なるから、機械のように同じ操作をして同じ成果を出すことは困難になる。そこが西洋的な学習と東洋的な修行の違いだろう。

著者自身:分かり難いので、たとえで教えて下さい。

天風先生:手に入れたいのは「水のようなものだ」としよう。

それは、お猪口に入ればお猪口の形になる。

コップに入ればコップの形になる。

バケツに入ればバケツの形になる。

風呂桶に入れば風呂桶の形になる。

水には代わりはないが、形は無限に変容している。

著者自身:良く分かります。水は器に合わせます。つまり自分の境涯に即して実感することが異なり、自分の器によって体得する量が異なると言う事なのですね。単に「積極的になる方法」では意味がない(時にはその類型が合わずに使い物にならない場合がある)と言うことですね。

風先生:そうなのだ。師匠は類型(パターン)ではなく、その悟りの境涯(器そのもの)を広げよと諭しているのだ。風呂桶より池が大きく池より海が大きい。実感できる世界は、その人の人間的な器の大きさや境涯(認知世界)によって違うのだ。器が小さい間は、大半をこぼしてしまうことになる。体得できない。

著者自身:弟子たちもその事は理解していたのでしょうか?同じ師匠に学ぶのに、なぜ分かる弟子と分からない弟子が出てくるのか?同じ事を教わって、違う結果を得ることは不思議だとは思わなかったのでしょうか?

天風先生:それは理解していた。早いものは数年で次の修行に向うが、いつまでも同じところを繰り返していた者は多かったからね。

著者自身:ではその器の大きさを広げるには、いかなる修行が必要なのでしょうか?方法ではなく、体験をすべきなのでしょうか?

天風先生:限界に至ることだ。知識や技術の限界に至れば、それを乗り越えるしかなくなる。限界に至らない間は、所詮は方法論を駆使しているに過ぎない。つまり、真正の絶対積極の在り方は絶望の淵から這い上がった者に体感できる境涯(認知世界)なのだ。

絶対積極とは、この世に生を受けて「成すべきことを成す」。

その為には生存しておりその使命を果たすまでは何事も「絶望」は無いと言う信念なのだよ。命がある限りは希望があると信じる事なのだよ。

著者自身:実感があります。何回も私は絶体絶命に至りました。でもその度に支援者が現れて、その窮地を脱却しました。「もうダメかなぁ」と言う寸前でも「まだ大丈夫だ」と言う勇気が湧きました。それが実感です。

天風先生:そういうものだ。頭の理解や定型のやり方ではない。

無我夢中でやっている中で「そうか!」とやるべき事がひらめいてくる。

そういう天啓に素直な人は器が広がる。だから素直でないと「なぜ?どうして?おかしい?」となかなか受け取らない。しきりに理由や経過やノウハウを欲しがる。そうしているうちに大切な実感を失ってしまう。

素直な人は「あの、感覚がそうだ!」と体得する。素直さに勝る武器はない。

 

 

CATEGORY

ARCHIVE

SEARCH