怒らない。恐れない。悲しまない。
絶対積極の精神が自己の健康の原点である。 中村天風先生の言葉。
19歳の冬、私は明らかに栄養失調状態の半病人だった時代を思い起こす。
人間は、食事を食べられないと健康を害するもんだ。
そんなことは百も承知しているが、極貧状態の私は「一日一食 うどん生活」を6カ月も続けていた。
実父が契約していた元請け業者の倒産を契機に連鎖倒産の憂き目に合い、もう6か月間逃亡生活をしている状態だった。その間、借金取りの「恐い暴漢たち」の暴言と小暴行が私に加え続けられた。自宅に押し寄せる彼らは、非合法にも関わらず自宅の金目の物品を持ち出し、今やテレビもタンスも布団も机も椅子もちゃぶ台もない。
でかい自宅だけが残っただけだった。(当時の第一勧業銀行は競売を開始する予定だったが、ある根抵当権が邪魔をして競売できない結果となる)
3000万円はいいから、とにかく利息だけ毎月返済しろ!と、銀行支店長が詰問する。
私と母は世の中の理不尽さに泣きながら、母がパートタイマーに出ることになった。
実は、私は大学受験生(一浪中)。5歳下の弟は高校受験中(現役)。10歳したの妹はまだ小学生。
二人の受験生を抱える家庭に、起きた地獄は想像に絶する過酷さと悲惨さの塊。
所謂「サラ金地獄で一家心中」と言う記事が毎日新聞に出ていた大不況期だった。
自宅で大学受験勉強をしていると、借金取りの非合法な取り立て屋(恐い人々)が来る。
毎回父の代わりに土下座させられて、罵詈雑言を言われ「乞食」だの「フーテン」だのとさげすまされた。
大学受験勉強をしているとは言えず、病人の振りをして押し入れに寝込んでいる姿を見せていた。
帰り際に「早く死ね!」と吐き捨てられた言葉は、どこか「別世界の言葉」のように響いた。
中村天風先生:良いか!すべては心の置き所一つで変わる。地獄とみるか?見ないか?お前次第だぞ。
著者自身:私は「乞食」でもないし「フーテン」でもない。取り合えず「病人の振り」はしたが、まだ病気ではない。(かなり栄養失調状態ではあったが。)
中村天風先生:そうだ!「生きている限りは希望はある」と言う。父親への思い「怒る」「恐れる」「悲しむ」を捨て去れ。それから始めることだな。親父も逃げているが、「もう間もなく死を迎えるだろう」可哀そうじゃないか。
著者自身:命がある。まだ生きている。それだけでも希望だな。親父が死ぬ寸前なのか?帰ってこないかなぁ。可哀そうだな。
中村天風先生:親父の事を許す気持ちがあれば、望みは叶うだろう。信じて親父の帰宅を待つことだ。
2カ月後、瀕死の親父が自宅の門を叩くことになる。
私が生命の不可思議と向き合う体験がそこから始まることになる。